こんにちは!!ぶーこ先生です!!
シンガーソングライターの吉田拓郎さんが現役活動引退を発表しました。数々の名曲を送り出した吉田拓郎さん、お疲れ様でした。筆者は80年代間近の生まれなので、正直言うと吉田拓郎さんは『LOVE LOVEあいしてる』でのキンキキッズのお二人との共演が一番印象深いのですが、それまでの吉田拓郎さんの伝説も気になります(*’▽’)その中で『帰れコール』事件というのが気になりましたので調べてみました。そして吉田拓郎さんの現役時代の年収は一体いくらなのか気になったのでこちらも調べました!!
吉田拓郎のプロフィール
- 本名:吉田拓郎
- 生年月日:1946年4月5日(76歳)※2022年6月現在
- 出身地:広島県広島市
- 学歴:広島商科大学
- 職業:シンガーソングライター・作詞家・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー
- 活動期間:1970年~
- 配偶者:森下愛子(女優)
吉田拓郎さんは日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、1970年代初頭にマイナーだったフォークソングとロックを日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手です!!
- 大規模ワンマンコンサートツアー
- プロデューサー
- レコード会社設立
など今では当たり前にある日本の音楽界の常識を作り上げたパイオニアとして役割を果たした方でもあります。
何でもそうですが、その『草分け的存在』になる方というのは相当な苦労をされると聞きます。
吉田拓郎さんもそのお一人です。
伝説の『帰れコール』事件とは一体どんなものだったのでしょうか??
吉田拓郎の伝説の『帰れコール』とは??
1972年4月22日に日本武道館で開催された『フォーク・オールスター夢の競演…』で、吉田拓郎さんがステージに立った瞬間に客席から激しい『帰れ!!』コールを浴びた。ビール瓶が投げられたり会場は大混乱に陥った。
という事件です。
これはそういう理由で起こった事件なのかというと、一言で言ってしまえば、
『吉田拓郎の曲が従来のフォークソングへの裏切り』
として取られたことによるものです。
そもそも1970年代はまだ安保闘争や学生運動などが活発で、思想や理想・理念が色濃いフォークソングが好まれていたことによります。
その中で吉田拓郎さんが歌う、代表曲『結婚しようよ』など恋愛感情を素直に曲にした歌は『生ぬるい』『軟弱』などというバッシングを受けていたそうです。
当時の日本はとても熱かったんですよね(;^ω^)
今でこそ【恋愛感情を曲にする】というのが普通というかそれが一番聴く人の感情を捉えると思うのですが…当時は全く違ったんです(;^_^A
ですが時代が変わるにつれ、次第に吉田拓郎さんが作る曲、歌う曲は受け入れられていくようになり、現在に至ります!!
吉田拓郎の現役時代の年収は??
自身の歌手活動のみならず、様々な活動(作詞家・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー)をしていた吉田拓郎さんですが、その現役時代の年収は一体どの位だったんでしょうか??
吉田拓郎さんの全盛期(1970年年代)の年収は約1億円を超えていたそうです!!
今、日本のサラリーマンの平均年収は500万程なので、1億円と聞くと少ないと思うでしょうが、当時のサラリーマンの平均年収は約90万円程だったんです!!そう考えると現在の通貨価値に置き換えると…
年収が約5億円程だったことになります!!
凄いですね!!Σ(・ω・ノ)ノ!
吉田拓郎のまとめ
今回調べた吉田拓郎さんについてまとめます。
- 吉田拓郎は日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、1970年代初頭にマイナーだったフォークソングとロックを日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手である。
- 吉田拓郎の伝説の【帰れコール】事件とは、『吉田拓郎の曲が従来のフォークソングへの裏切り』ととられたから。当時の日本の若者の心情(安保闘争や学生運動などが活発で、思想や理想・理念が色濃いフォークソングが好まれていた)ことによります。によるものである。
- 吉田拓郎の現役時代の年収は現在の通貨価値にすると約5億円と推測できる。
今回引退を発表した吉田拓郎さん、その残した功績は非常に素晴らしいものです。
吉田拓郎さんが作った名曲と共に語り継がれていくことは間違いないです( `ー´)ノ
今まで本当にお疲れ様でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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